西阪仰氏(以下敬称略):「普通に社会を生きている人たちが社会生活を営むのに用いている方法論があり、その方法論を明らかにしていきましょう」というのがエスノメソドロジーという言葉の意味なんです。一般的に社会学というと、いわゆる社会問題やなにか大きな社会システムみたいなことを考えていくイメージがあるじゃないですか。そんななかでエスノメソドロジーは日常生活がどういうものなのかを考えた時に、日常生活というものが非常にきめ細かく巧みに、かつ精巧に組み立てられている。しかもその組み立て方というのもみんなが好き勝手にやっているのではなくて、ある方法論に基づいて行われているのではないか、ということなんですよね。つまり日常生活で私たちが用いているけれど、普段は気づかれないような形で存在している方法論を明らかにしていこうというものなんです。
西阪:ガーフィンケルの有名な例えで『従来の社会学というのは、何が屋根を支えているかを見るために壁一つ一つを取り外していくようなものだ』というものがあります。日本と違ってアメリカの家屋は柱がないので屋根を支えているのは壁なんです。だから、その壁を取り外せば屋根(社会)を支えている何か(システム)が見えてくるんじゃないかと思って壁を外していくんだけれど、結局屋根を支えているものは何もなくなってしまう。つまり、普段はどうでも良いように見られているような一つ一つが、実は社会生活を営む上では重要な意味を持っている。だから、奥を探っていくのではなく、手前にある表層的なものをきちっと見るのが大事ということなんです。だから方法論といっても、「社会の深層に隠れている文化のパターン」といったものではなく、私たちが普段使っている非常に表層的な部分にそういう方法というのがあるので、細かいことをどうでも良いことだといって見逃したり捨ててしまうのではなく、その細かいことも様々な違いなどに十分気をつけて見ていき、人々の方法論を明らかにしようといったことをしています。
西阪:だから実際にやっていることは、ある見方からすると非常にみみっちいことをやっているように映るのですけどね(笑)。ただハーヴィ・サックスという会話分析
の創始者が、『社会の中にはゴミはない』という言い方をしています。普通だったら『こんなものはゴミだ』といって社会学者が捨ててしまう些細なものでも、実はそれこそが屋根(社会構造)を支えているものであり得るので、きちっと見ていきましょうというのが、エスノメソドロジーのスタンスなんです。
西阪:基本的に、自分たちの知らないところに行って新しい情報を得てくるというのがエスノグラフィーだと思います。一方でエスノメソドロジーは、エスノグラフィーが前提としているようなことを考えようとしています。例えば、エスノグラファーたちが『この人たちは、自分たちとこういうふうに違うんだ』ということを見出すときに、その違いというのがそもそもどうして違いとして認識可能になっているのかとか。そもそもそういう生活を成り立たしめている、私たちもしくは彼らが持っているメソドロジー(方法論)は何なのか、というようなことを対象としています。そういう意味ではエスノグラフィーが、何が事実かということを集めてくる一つの手法であるとした時に、エスノメソドロジーはその事実がどのようにして事実として成立しているのかということを見ていくものだと思います。
ただ、エスノメソドロジーとエスノグラフィーとは、その場でしか分からない個別のことを丹念に見ていくという点で親和性もあるんですけど。
西阪:私が大学院に入った頃に、私よりも1、2歳上の方たち、例えばいま埼玉大学にいらっしゃる山崎敬一さんや、日本大学にいらっしゃる好井裕明さん、松山大学にいらっしゃる山田富秋さんという人たちがエスノメソドロジーに関心を持ち始めていて、あまたあるアプローチの中の一つとして出会うことができました。その時は、日本ではまだ珍しいものではあったんですけど。一方で、私はもともとどちらかというと社会理論みたいなことにずっと関心があって、その時に注目されていたドイツの、ユルゲン・ハーバーマスやニクラス・ルーマン
といった人たちの議論について勉強をしていたんです。
そこでは、コミュニケーションというのが一つのキーワードだったんです。ハーバーマスはその後「コミュニケーション的行為の理論」という本を書きましたし、ニクラス・ルーマンは自らのシステム論においてコミュニケーションをシステムの要素とみなしていました。コミュニケーションをシステムの要素と考えることによって、社会システムということの考え方がかなりガラッと変わるような議論を展開していたんです。そういうところでコミュニケーションを考えるにあたって、会話分析とかエスノメソドロジーにも関心を持ってはいたんです。で、理論のための材料を得ようと思ってエスノメソドロジーや会話分析を学んでいるうちに、気がついたらそれが専門になっていった、という感じでしょうか(笑)。
西阪:コミュニケーションを考えるにあたって、抽象的な理論の肉付けとして具体的なことを考えたいというのもあったのですが、ただ話はもう少し複雑なんです。具体的なものを十分な抽象度をもって使うためには、本当に具体的にならなきゃいけないという面もあるんです。社会を、本当に十分な抽象度や一般性をもって語るためには、「ゴミ」のような些末なことがらを全部拾い集めて、その一つ一つをつぶさに見るぐらいの具体性を持たなければいけないと思うんです。だからそういう意味では一般性とか抽象性とかをすべて捨て去ったというわけでもなかったんです。少なくとも当時の自覚としてはね。
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